
©︎ SATORU HAGIHARA
灯明の岩
”ある日、夕暮れに及んだ作業に難儀していると、渓谷の岩の一つが灯をともしたように明るくなり、人々の作業を助けました。 以来その200m近い巨岩は”灯明の岩”と呼ばれるようになりました。“
八ヶ岳海尻温泉 灯明の湯HPより
-白髪鬼-
かつて国内最難であったという歴史的なトラッドルートが長野県湯川にある。
ルートの名前は白髪鬼。
保科雅則氏によってピンクポイントスタイルで初登され、その後、故吉田和正氏によって第2登。そして、中嶋徹氏によってレッドポイント初登されたルートだ。
このルートを知ったのは中嶋氏のレッドポイントのニュースで、当時13歳だった少年が”R”レートの付く危険なルートをレッドポイントしてしまったことに強い衝撃を受けたのを覚えている。
またさらに、このルートを脳裏に焼き付けたのは初登の保科氏がフリークライミングの冒険性について語っていたこの一節であった。
“冒険的なものに惹かれるのは、肉体的なものより精神的なものの方が不滅だからさ。新たなスタイルを目指すチャレンジ精神こそが、フリークライミングにおける”冒険”ってことじゃないかな。“
(『クライミングジャーナル』50号)
-グラウンドアップ-
「より厳しいスタイルでレッドポイントする」という発想の基で今回のクライミングは始まったのだが、まずはグラウンドアップでのトライからだった。
昨年と今シーズン、一日づつ計2日間をこのスタイルでトライし、実際にグラウンドアップによるクライミングで白髪鬼の終了点には至った。
しかし、いざレッドポイントとなると複雑さが増した。特にギアの回収という問題であった。
レッドポイントトライで、もし途中でフォールした場合、ギアを回収するにはそのまま終了点まで再度登ってロワーダウンしながら回収するか、クライムダウンしながら回収するか、もしくはパートナーに回収に行ってもらうかだった。
しかし、フォールの度に「ギア回収のためのクライミング」を繰り返すうちに、当初のグラウンドアップの精神、未知なる一手への駆け引きという冒険性はもはや薄れていってしまっている感覚を覚えた。
そして、そもそもオンサイトでない限り、トラッドルートでのグラウンドアップでの”レッドポイント”に深い意義があるのか、たとえ達成したとしてもそれは単なる「グラウンドアップで登った」という形式上のタイトルであって、果たして自分の求めるものはそれなのか、という疑問が生まれた。
-ロープソロ-
しかし、より厳しいスタイルで白髪鬼は登り切りたい、という思いは消えず、そこで選択したのがロープソロだった。
そもそも白髪鬼というルートの歴史は、保科雅則氏や中嶋徹氏が実践してきたように、その節目毎に、より厳しいスタイルで登られてきたというクライミングにおける冒険性の象徴のようなルートで、初登の保科雅則氏が残した、冒険に対する格言。新たなスタイルを目指すチャレンジ精神とその精神性の不滅。
とにかく、それをこのルートで実践し、理解したかった。
しかしやはり、ロープソロスタイルにおいても、その複雑さは付き纏った。
そもそも自分のロープソロシステムでは湯川の柔らかい岩質で行うトラッドルートには不向きであることも知ることとなった。
実際、フォール時の衝撃にプロテクションが耐えられず、極めていたカムが3本抜けてグラウンドフォールという痛手を負うことにもなった。
ロープソロを選択した理由は、実は他にロープソロでやりたい(ロープソロで登ることで大きな利点が得られるルートの登攀)の実験的な目的もあったのだが、いざ蓋を開けてみると手段としてのロープソロシステムの利点・欠点と今回のルートの性質はそもそも全く噛み合っていなかったことを知った。
そのスタイルの選択に苦悩し冒険性の追求を目的としながらも、スタイルという手段そのものが目的化したとたん、複雑さを纏い、クライミングのシンプルさを損なってしまう。結果、冒険性にも霞がかかってしまっていることに気がついた。
その苦悩のうちは、まるで一寸先も視えない霧雨の中にいるような感覚だった。

©︎ KENICHI MORIYAMA
-ボルトアンカー-
実は、白髪鬼というルートは、現在では壁の途中にあるボルトアンカーを終了点としたルートとしてほぼ定着している。
ルートの歴史を紐解くと、そのボルトアンカーは中嶋氏のレッドポイントトライ時に打たれたもので、それまで白髪鬼のビレイ点は不安定な岩が重なり合ったブッシュからロープを延ばし細い立木に設けた、ビレイ点としては些か頼りないものであった。
そこには今でも当時使われていたであろう苔むしたロープが垂れ、その名残が残っているが、それまでピンクポイントに留まっていた白髪鬼は、多少なりともそのボルトアンカーの一助によって、マスターリードレッドポイントというより良いスタイルで完成された。
しかし、そのボルトアンカーにぶら下がる度に、「なぜ私はトラッドルートをトライしているはずなのにボルトにぶら下がっているんだ?」という疑問が脳裏に浮かんだ。
-2本のクラック-
ただ、そのボルトアンカーから3手ほど右方に手を進めると、別のクラックを経て両手を離せるほどの安定したテラスに移れ、その終了点の位置も、安定したテラスの存在も、そこでピッチを区切り、ルートの終了点とするには実に合理的で、形状の弱点をついたごく自然な終了点である。
しかし、ただ一点、不自然な点があるとすれば、それまで登ってきたクラックから脱線し、別のクラックに移って終了となることであった。
実際、白髪鬼の指寸にも満たないそのクラックは、そのボルトアンカー付近で途切れることなく、そのままさらに左方に延び、岩壁中央のクラック(テレパシー/5.10+)に一本のクラックとして岩の頂上まで繋がっている。
-燈明-
結局、私はこのルートを白髪鬼としてではなく、一本のクラックを繋いだ、岩の頂上までトップアウトするラインとして登ることに決めた。
もちろん、レッドポイントの際には白髪鬼のボルトアンカーは使用していないので、そのボルトの存在意義に関して悩んだがボルトはそのまま残すことにした。
そもそも自分もリハーサルで使っていたのと、白髪鬼というルートを知る内にそのボルトの打たれた経緯が妥協点としてのボルトでは無く、もともとの支点の風化や不安定性など踏まえた上で打たれたものであるということを知ったからだ。
そしてもし、そのボルトを撤去してしまったとしたら白髪鬼というルートは死んでしまうだろう。
無謀と冒険、理想と妥協、目的と手段…自身にとってその境界が何処にあるのか。
その選択に悩み、考え続けた今回のクライミングは辛く苦しいものであった。
仏教において無明を照らす智慧の光、神仏に供える灯火として供養の一つとされる燈明。
そのスタイルとラインを悩み抜いた末に繋がった、岩の上まで続く一閃のクラック。
その一閃が導く岩のラインは、まさしく私にとって無明を照らす光のようであった。
初登したこのルートを、白髪鬼の歴史への敬意とともに「燈明 -The Votive Light-」と呼ぶことにした。
