瑞牆山とクライマーたち

瑞牆山は秩父多摩甲斐国立公園内に属した山梨県奥秩父の山域に位置する標高2,230mの花崗岩山である。
山中には大小様々な形状の岩が切り立ち、原生林の残る深い森と絶えることなく続く小川の流れ、長い年月をかけ育まれた自然が広がる。
深い静寂と瞑想的な空間が織り成す情景はまるで山水画の中に身を委ねているかのような錯覚に陥るほど美しい。
瑞牆という名前の由来は諸説あるが、その一つに神道神社における神域をはっきりと区別するために設けられた瑞垣と呼ばれる垣根(囲い)を由来とする説がある。
それは「神聖な囲い」という意味を持つが、瑞牆山は古くから人々にとって神聖な領域として山岳信仰の対象とされ、山中の洞穴には修験者の修行跡や刻字の軌跡が残るなど歴史的にも興味深い土地である。
そういった土地の魅力に加え、瑞牆の広大な樹林の中には多彩なコントラストに彩られた岩峰が聳え、その麓には苔生したボルダ―群が広がり多様なクライミングの可能性を内包することから、現在に至るまで多くのクライマーたちを魅了し続けてきた。

-スタイルの共存-
瑞牆は非常にユニークなエリアだ。
山中には複数のエリアが点在し、マルチピッチ、トラッドクライミング、スポートクライミング、ボルダリングなど多様なクライミングが楽しめる。
また、個々のエリアでは開拓された年代や開拓者によってその様相が全く異なり、同じ山に属しながらも一つ尾根の向こうでは異なるスタイルのクライミングが展開され、今もなおそれらは拮抗することなく共存している。
岩壁のスケール自体は海外の大岩壁と比べると最長でも標高差300m程と小規模ではあるが、壁自体は急峻で、切り落ちたフェースに弱点は少ない。
そのため、それら岩壁を克服するためには必然的に高度の技量とライン取りのセンスが要求され、そういった特色が相まって岩場の個性と存在価値を高めてきた。

-埋め込みボルトの功罪-
日本で初めて埋め込みボルトが使用されたのは1950年代後期に開拓された谷川岳一ノ倉沢コップ状岩壁においてであるが、それまで人工的補助手段について厳しい戒律を課してきた日本のアルピニズムにとって、このボルトの実用というトピックは登山体系のモラルという観点で論争の的となった。
そして、当時、たった一本のボルトの使用にあたっても、そこには初登者の大きな苦悩と非難を覚悟の上で使用に踏み切られる重みがあった。
しかし、不遇にもその意思に反して一ノ倉沢での登攀を皮切りに、日本のアルパインクライミングは埋め込みボルト連打の、いわゆるIV級A1時代に突入することになる。
瑞牆もその例外ではなく、幾らか目を引く登攀はあったものの結局はボルトによる人工登攀に頼らざるを得ず、岩壁には無数のボルトラダーが刻まれた。
そして、その単調な作業に緊張感の得られぬ虚しさを覚えたクライマー達は、次第に瑞牆を去っていった。

-フリークライミング-
瑞牆が再び脚光を浴びることになったのは1980年代に入ってのことである。
クライミング誌「岩と雪」(1980年1月号)に掲載された「ヨセミテとコロラドの体験」(戸田直樹)によるバーカーショック(戸田ショック)を皮切りに、日本フリークライミング史の華やかな幕が明ける。
氏らの活躍は全国に及び、負の遺産とも捉えられたエイドルートのフリー化が数多く行われ、そのムーブメントは日本のクライミング史の飛躍として歴史に刻まれることとなった。
そして、各地で精力的にフリークライミングの可能性を見出した彼らが次に注目したのは、後に日本のフリークライミングの象徴ともいうべきルートを残すこととなった瑞牆山十一面岩の岩峰群においてであった。

-十一面岩-
瑞牆山十一面岩の岩峰群は最大高差300mにも及ぶ瑞牆山最大の独立峰である。
十一面という呼称は宗教用語に因むもので、四方に展開する数多の岩壁面を宗教用語である十一面観音に見立て、そう呼ばれている。
十一面岩は大きく「正面壁」、「左岩壁」、「末端壁」に分かれ、今回の主題である100m超の巨大なスパイヤーのモアイフェースは正面壁中央に鎮座している。
ここ十一面岩には日本のフリークライミングの象徴ともいうべき2本のルートが存在する。
一つは1983年に松江良三らによって開拓された「ベルジュエール」である。
このルートはナチュラルプロテクションを積極的に使った、瑞牆のみならず日本を代表とするマルチピッチルートとして、現在でも多くのクライマーが目指すスタンダードとなっている。
そして、もう一つは日本のフリークライミングの創始者とも呼ばれる戸田直樹氏によってフリー初登された十一面岩末端壁の「春うらら」(5.12a)である。
同ルートは、1980年に小俣智義氏によりナッツ類の積極的使用による人工登攀として初登され、当時のボルトラダー全盛の時代においては一線を画したルートとして注目を浴びた。
その後、4年の歳月をかけ、戸田氏によってナチュラルプロテクションのみのマスタースタイル、かつノーフォールという完全なスタイルでフリー化され、その前衛的な姿勢は多くのクライマーに影響を与えた。
そういった時代背景を含め、ここ瑞牆において十一面岩はクライマーにとって特別な存在である。
それはこの2本のルートが持つ歴史的背景とその存在自体がフリークライミングの伝承者となり、ここを訪れるクライマーに強烈なメッセージを発信し続けてきたからであろう。
この地にルートを拓いた先人達は、大きなリスクの伴う登攀ですら安易にボルトを許容せず、自己の能力を以って難壁を克服してきた。
そして現在もなお、ここを訪れ、新たにルートを拓こうとするクライマーも同様に、もしボルトを打たなければならないと判断された岩壁は次世代に続くクライマーに託されてきたのだ。

「千日の瑠璃 -モアイフェース開拓記-」につづく…

Photo : Satoru Hagihara